⒌立ち止まる暇なんてないのだ、本当に。

8月もあと1週間を残すばかりとなり、秋の気配を感じられるようになった今日この頃。

 

気がついたら、23歳になっていた。

 

去年の誕生日に残していたメモを見れば、「笑顔で朗らかな女性にとてつもなく憧れる、笑顔の似合う明るい女性になりたい」とあった。

最近、就活時に受けたウェブテストの一環、性格診断の結果を見る機会があったのだが、

・楽観主義属性: 1/10

・心配性属性: 9/10

・ストレス耐性: 1/10

という衝撃的な数値を見つけた。

4月に社会人になってから、あまりの生活の変化に伴って、性格も大きく変わった。

根本的な価値観は変わっていないが、4月前と比べて圧倒的にポジティブになったと自覚している。

時間が限られているために、悩んで立ち止まっている暇などないのである。

 

23歳の誕生日は、大学時代の親友のうち2人に其々祝ってもらった。

2人とも、大学時代の私、そして今の私をよく知っている。

そんな2人から、奇しくも、

「18歳の時からあなたを知っている。5年間、傍で見てきたけれど、23歳のあなたが一番綺麗で、一番幸せそうで、私まで嬉しくなる。」

と、同じ言葉をもらった。(彼女たち2人の間に面識はない。)

今の私にとって最高の賛辞であり、思わずカードを見て泣きそうになってしまった。

 

誕生日を祝ってもらった帰り道、友人に

23歳の抱負は?

と聞かれ、あまり考えることなく、

1年目の今は前を向くことを辞めずに、不安になったら周りの助けを借りながら方向を見定めて、走り続けるしかないよね

と、漫画の主人公のようなことを言っていた。

立ち止まる暇なんてないのだ、本当に。

 

4. 正しいのかなんて本当は誰も知らない

今更すぎるのだが、宇多田ヒカルの「初恋」を初めてフルで聴いた。

(宇多田ヒカルは大好きなのだが、Apple Musicに入らないかと思い、買うのをずっと渋っていた。結局待ちきれなくて買っちゃったけど。)

 

案の定、物の見事に心を奪われた。

そして初めてお付き合いをした高校1年生の頃に引き戻され、その時に芽生えた奇妙な感情まで全て思い出してしまった。

 

というわけで、ひっそりとここであの頃のエピソードを書いてみたい。

きちんと明かすのはここが初めてだが、かなり長くなってしまったし、あまり真剣にじっくり読まないでほしい (なら書くなバカヤロウ)。

 

ちなみにクソどうでもいいのだが、直近の元彼のことは何も覚えていない。

それなのに、もう7年も前のことをこんなにもよく覚えていたというのは、人間は幸せな思い出だけを残して、苦しかったことは忘れるようにできているということなのかもしれない。

 

 

さて、初めてのお付き合いは、高1に上がったばかりの時に始まった。

塾で中学から仲が良く、帰る方面も同じだった友達が、いつものように一緒に帰っている途中で急に深妙な顔つきになり、告白してきたのである。

 

彼のことをそういう目では見ていなかったが、真剣な目つきと声のトーンに押されて、

そして「彼氏」という女子校育ちの私にとってはなかなか叶いそうにない憧れの存在が思いもかけない早さで叶ってしまったことに、少なからず嬉しさを感じてしまって、すぐにOKを出した。

 

彼は、本当にできた人だった。

 

身長が高く、顔立ちは所謂イケメン、同性・異性にモテる性格の良さ、運動部所属、博識、私より頭が良い、大人びて落ち着いた雰囲気。

 

思い出補正がかかっているかもしれない。

だが、「なぜこんな人が私なんかのことを好きになったんだろう、物好きもいるもんだ」とずっと思っていたくらいには、完璧な男子高校生だった。

多分、彼のことを学校の誰かが見ていたら、私は底辺で腐らずに、スクールカーストの頂点、バラモンの地位に就けていただろう。そんなものには微塵も興味がなかったけれど。

 

順調にお付き合いは進んだ。

特に高1の頃は学校嫌いがピークを迎えていたから、あまりそのことで愚痴を言ったりはしなかったけれど、彼と話していると本当に癒された。

そして、今でも忘れられないのだが、自分は学校(男子校)でモテまくって順風満帆な学校生活を送っていたにも関わらず、学校が大嫌いという私を受け入れ、「嫌いなら無理に好きにならなくて良いじゃん、余計苦しくなっちゃうよ」とまで言ってくれた。

 

それでも、分からないことがあった。

「この人のことが本当に好きなんだろうか」と、私はずっと自信が持てなかった。

 

確かにかっこいい。

確かに優しい。

確かに彼は私のことが好き。

 

でも、私はなぜか彼のことを好きだと、自信を持って言えなかったのである。

 

自分のことなのに、理由は今でもよく分からない。

当時の私に会えるならば、「いやぐちゃぐちゃ言ってるけどお前それ確実に好きだろ」と、必ず言うだろう。

だがなぜか、16歳の私は「友達の好きと恋人の好きって何が違うんだ」「なんであいつは私なんかを好きなんだ」と無駄に考え込んで、ますます沼にハマって、1人部屋のベッドでウンウン唸っていた。

 

そんな中、高1の冬休みである。

私は、彼以外の人に「好きだ」という感情を抱いてしまった。

 

なぜ「好きがわからない」と悩んでいた私が、その人のことは「好きだ」とあっさり自覚したのか。

その人とはよく顔を合わせていたが、私は、その人を前にするとたまにどうしようもなく胸がギュッとしてしまうこと、気づけば姿を目で追ってしまっていることを自覚した。

 

付き合っていた彼氏には、正直そんな想いは抱いていなかった。

気づけば目で追ってしまうなんてこともしなかった。

そして、「ああこれが恋なんじゃないか、好きってことなんじゃないか」と思ってしまったのだ。

 

 

 

ここで冒頭に戻り、宇多田の初恋である。

 

欲しいものが

手の届くところに見える

追わずにいられるわけがない

正しいのかなんて本当は

誰も知らない

 

 

あの頃の私は、こんな不安に駆られてその人と急速に距離を取った。

 

こんなにできた人が、真逆で惨めな私のことを好きになってくれたから。

好きかどうか分からないと悩んだが、やはり彼氏は大事な人で、傷つけたくないと思ったから。

 

 

 

彼氏とはその後2年ほどお付き合いを続けて、私からさよならを告げた。

2年の間、ずっと彼は私を大事にしてくれていたと思う。

 

別れるという結論を下したことが正しかったのかは分からない。

なぜなら、彼以上にできた人に出会えることはない気がするから。

よりを戻したいとは思わないから、きっと合っていたのだろう。

それでも、もし私が彼に別れを告げなければ、別の結論があったのかもしれない。

 

そして今でも、同じ時期に芽生えた私の感情のどちらを「初恋」と呼んだら良いのか分からない。

宇多田ヒカルに聞いたらきっと、後者じゃないかと即答される気がする。

 

 

www.utadahikaru.jp

3. 人って忘れる生き物だな

両親が一週間の旅行から帰ってきた。

 

母と顔を合わせて「ただいま」の次に言われた言葉は、

「旅行楽しかったよ〜」でも、「ちゃんと一週間過ごせた〜?」でもなく、

「何そのメイク、マンションの人とすれ違ったら絶対ギョッとされそう、タトゥー入れてるオネーサンみたい」

という散々なものであった。

 

確かに今日はアイライナーをグレージュではなくブラックに変えた。

使うアイシャドウを3色にした。

だが私にしてみればたったそれだけであって、

しかもこのメイクは普段会社に行く時にもしているものであって、

つまり、このメイクをしている私を母は何度も見ていて、

それでも今まで一度もそんなことを言ってきたことはなかったのである。

 

 

「久しぶりに見た娘に対して出てくる一言がそれなのか〜〜

 最近あんま喧嘩していなかったから忘れてたけど、

 この人はこういう人だった〜〜〜」

と思い出し、もはや落ち込みもしなかった。

ただ一つ、「人って忘れる生き物だな」という悲しい気づきが心に残った。

 

旅行に行く前日、両親が本当に久しぶりに

(どれくらい久しぶりかと言うと恐らく10年以上ぶりくらい)、

口論をしていた。

何でも「だって無理だし」で片づけたり、他人に対してお人好しな母に対して、

苛立ちを募らせた父が少々母に当たったのである。

具体的に父の発言を書くことはしないが、

父の言葉は恐らく、「家族だからこれくらいの苛立ちをぶつけても許される」

という思いや、くだらない意地を張っていることから来たものだった。

 

案の定、母は私に同情を求め、

「あんな発言して良いわけないよね、人としてあり得ない」

と言って来たのだが、私からしてみれば、「いやおめーもな」案件でしかなかった。

そのため、母には

「家族だから何言ってもいいわけじゃないってやっと分かったでしょ」

と返し、父には

「あの性格はもうどうしようもないので、明日から旅行なんだし、勘弁してあげて」

と伝え、私が会社から帰宅した頃にはすっかりいつもの「母に対して少々甘めな父」に戻っていた。

 

母は一週間の旅行のうちにそんなことはつゆ忘れたのか、本日の冒頭の発言である。

去年大きな喧嘩をしてから、母に対しては諦めしか抱いていないのだが、

「人はわが身に起きたことですらすぐ忘れる」というのを再び実感してしまった。

 

 

 

ちなみに両親がいなかったこの一週間、

大変だったかと言われれば、全くそうではなかった。

 

早起きして朝食を準備し、洗濯機を回し、洗い物をして、身支度をし、

家を出る直前に回した洗濯機から出した洗濯物を干す。

帰って来たら夕食を準備すると同時に洗濯物を取り込み、洗い物をし、

洗濯物にアイロンをかけ、お風呂に入る。

 

一人暮らしの人からしてみれば当たり前なわけだが、

生まれてから親元を離れたことがほぼないばかりか、

ろくに家事をしたことのない私にとっても全く大変ではなく、

やることがある分てきぱきと動くおかげで普段より一日を有効活用でき、

むしろ楽しかったのであった。

 

「早く家を出よう」という決心が、一層固まったこの一週間であった。

2. 謝らなくていいです。

7月も1週目が終わろうとしている。

このエントリーを書いているのは七夕の夜。

彦星と織姫は無事に出会えたのだろうか。

 

彦星と織姫と言えば、七夕伝説を初めて聞いた3歳の時から、

「地上が雨でも晴れでも、天の川は雲の上に存在するわけだから、彦星と織姫は絶対毎年会えてるのでは」

と思っている。

とはいえ、笹の葉に願い事や、繊細な和紙作りの飾りを下げる風習の涼やかさは好きだ。

無粋な考えは胸に閉まって、地元の園児たちの作った飾りを横目に、駅の改札を慌ただしく通り抜けるのである。

 

 

さて、そんな風に慌ただしく最寄りの改札を通り抜けて7月1週目ラストの出勤をした金曜、指導担当とのコミュニケーションに出てきたのが、

「謝らなくていいです。」

という言葉だった。

 

経緯を話すと、メールで以前と同様の内容の注意を受けてしまい、

「ごめんなさい、以降気をつけます」

と返すと、

ぶっきらぼうなメールを送ってしまったけれど、怒っていないし謝らなくていいです。」

と返ってきた。

 

正直、複雑な気持ちである。

彼は、私に「そんなに気にしないでね」というメッセージを伝えたかったのだろうということ、そして彼の性格上、100パーセント他意はないだろうことは分かっている。

しかし、「そんな風に気を遣わせてしまった原因は自分のミスだ」という点に心はフォーカスを当ててしまい、素直に受け取れないばかりか、更に申し訳ない気持ちが増したのだった。

 

このように近頃、自分の至らなさを思い知らされる出来事が多く、「楽しい」だけで乗り越えられてきた4月・5月のフレッシュなフェーズが去ったことを実感している。

正直、少し苦しい。

 

新人の私に、初めから何事も完璧にこなすことなど誰も期待していないのは分かっている。

この始まったばかりの苦しいフェーズを如何に乗り越えどのような教訓を得るのか、

得た教訓をどれほど現在の自分に反映させられるか、

そして最終的に現在の自分を超えていけるのか。

そのような、「失敗から学びを得て成長する」という姿勢を崩さないことが求められているという点も分かっている。

ただ、心はやはり落ち込むのである。

 

なぜ頭では分かっていても落ち込むのか。

「新人ぽくない」「頭の回転早そう」「バリキャリになりそう」etc.

これらは、私がかなりの確率で持たれるファーストインプレッションであるが、

このような印象を持たれていることを考えてしまうのだ。

「デキるイメージを持たれてしまい、その後はポンコツであることが徐々にばれて、評価は右肩下がりになる一方だ」と。

自尊心が強く、自分の弱さを受け止めることが苦手な私にとって、このような思いはダメージとなって心にのしかかる。

そして、簡単なこともできない自分に嫌気が差し、周囲にどれほどフォローされても受け止められないのである。

 

 

と、最近の私は4・5月の浮かれた気持ちがだいぶ落ち着いて、むしろ少し後ろ向きになっている気もする。

だが、6月が始まった頃は「このまま何も怒られないと後になってとんでもないミスをしそうで怖い」と思っていたわけだし、当たり前だが失敗は多い方がその後の成長も期待できる。

というわけで、自分の弱さを受け止めることは死ぬほど嫌いな私だが、今までの失敗から得た教訓を基に常に自分をアップデートしていくこと、ミスをして落ち込むだけ落ち込んだらすぐに前を向くよう努めることを忘れずに行きたい。

 

弱さを認めることが苦手で、大学時代にも多くの壁にぶつかった。

それらを乗り越えた私が残してくれたメッセージ曰く、

「うまくいかなくても、その時の自分を受け止めること。そのためにも、自分の信念を貫くこと。そうして自分の選択の結果を、常に正解にしていくこと」

らしい。

 

そんなメッセージを残してくれた大学時代の暇を持て余しすぎていた私には、

「たまには良いこと言うじゃん」

というメッセージを送ろう。

 

ほら、私を前に向かせてくれるのは、やはり過去の自分の失敗なのである。

1. 人生で幸福なこと-自分らしく死ねること

高校生ぶりに、ブログを書くことにした。

根本的な理由は、表現力の低下著しい自分に危機感を抱いたから、である。

この根本的な理由にいくつかの背景が紐付いているので、それについてまずは説明したい。

 

 

 

近頃、本を自ら手に取らなくなってしまった。

いつからかは覚えていないが、それをきっかけに、活字を読むことが苦痛になってしまった。

短編小説は愚か、雑誌の記事、新聞記事ですら読み通すことができない。

(これは余談だが、結果、今月から始めた会社関連の通信教育のテキストを読むことが、今まて馴染みのなかったテーマを扱っているということを抜きにしても、全く読めないのである。)

 

 

 

なぜ文章を読まなくなったのか。

文章世界以外の娯楽を手にしてしまったからだ。

最近は専ら、Netflixをはじめとした定額動画配信サービスに随分とお世話になっている。

それらによって音と映像の表現の世界に慣れてしまい、文章世界から遠ざかってしまったのだ。

 

 

 

ところで、今までもこうして何度かブログを再開させようと思ったことがあった。

しかし、その度にやめてしまったのは、Twitterのアカウントを3個も持っているためだ。

所謂表アカ、裏アカである。

表では友人たちのツボを突きそうな軽いネタを、裏アカ①では主に趣味を、裏アカ②では前者2つで呟くには重いものをツイートしている。

その3つで自分の思考を発散することに満足してしまい、「私にはTwitterがあるから」と思ってきた。

 

 

しかし、Twitterの難点は字数制限が140字という点である。

そして、140字の発信で文章を書いている気になっていた自分に、漸く危機感を少しばかり抱き始めた。

 

 

バイトしていた国語塾の講師で、高1の時から別の英語塾でもお世話になっていた哲学者がいるのだが、その彼の言葉を思い出す。

「最近の生徒の答案が数年前の生徒のものより明らかに質が下がっているのは、SNSの発達も関与しているだろうね。」

彼の言葉は、正に現在の私にも向けられている。

 

 

 

そして最後、語彙力の低下にこれ以上にない危機感を抱いている。

別に私はプロの表現者でも何でもないので、苦しんで語彙力を増やそうとしなくても良いという見方もある。

 

 

だが、それだけではないのである。

 

 

ここで少し、会社での私の業務について少し触れたい。

私の業務の一部は、日本語資料を簡潔にまとめたり、英語資料の英語要約、日本語要約である。

その時に、適当な言葉がほとんど出てこないのだ。

 

 

専門用語が使われていることも一理あるが、やはりそれ以上に、語彙力が無いために簡潔に言葉を言い換えることができない。

その度にネットで検索をかけるのだが、その時間は他の業務に充てられる時間だろう。

語彙力の低下が、会社での業務に支障を与えているのである。

 

 

 

以上が、表現力を磨きたいと思った背景となる。

 

ここからは、このブログについての説明をしたい。

 

 

方針が変わることもあると思うが、今のところは、月1回程のペースで、読書感想文のようなものを書いていこうと考えている。

読書感想文を上げようとすれば必然的に本を読まなければならなくなる、という安易な発想である。

 

 

余裕が出てくれば、その他最近見て良かったアニメや映画についても書いていきたい。

 

 

 

ブログのタイトルは、アニメ東京喰種:re最終話、カナエの台詞から拝借した。

正直、この手の台詞に心を動かされたことはなかったのだが、カナエの最後があまりにも美しく、涙を流さずして見ることはできなかった。

この感想を書くのも良いかもしれない。