1. 人生で幸福なこと-自分らしく死ねること

高校生ぶりに、ブログを書くことにした。

根本的な理由は、表現力の低下著しい自分に危機感を抱いたから、である。

この根本的な理由にいくつかの背景が紐付いているので、それについてまずは説明したい。

 

 

 

近頃、本を自ら手に取らなくなってしまった。

いつからかは覚えていないが、それをきっかけに、活字を読むことが苦痛になってしまった。

短編小説は愚か、雑誌の記事、新聞記事ですら読み通すことができない。

(これは余談だが、結果、今月から始めた会社関連の通信教育のテキストを読むことが、今まて馴染みのなかったテーマを扱っているということを抜きにしても、全く読めないのである。)

 

 

 

なぜ文章を読まなくなったのか。

文章世界以外の娯楽を手にしてしまったからだ。

最近は専ら、Netflixをはじめとした定額動画配信サービスに随分とお世話になっている。

それらによって音と映像の表現の世界に慣れてしまい、文章世界から遠ざかってしまったのだ。

 

 

 

ところで、今までもこうして何度かブログを再開させようと思ったことがあった。

しかし、その度にやめてしまったのは、Twitterのアカウントを3個も持っているためだ。

所謂表アカ、裏アカである。

表では友人たちのツボを突きそうな軽いネタを、裏アカ①では主に趣味を、裏アカ②では前者2つで呟くには重いものをツイートしている。

その3つで自分の思考を発散することに満足してしまい、「私にはTwitterがあるから」と思ってきた。

 

 

しかし、Twitterの難点は字数制限が140字という点である。

そして、140字の発信で文章を書いている気になっていた自分に、漸く危機感を少しばかり抱き始めた。

 

 

バイトしていた国語塾の講師で、高1の時から別の英語塾でもお世話になっていた哲学者がいるのだが、その彼の言葉を思い出す。

「最近の生徒の答案が数年前の生徒のものより明らかに質が下がっているのは、SNSの発達も関与しているだろうね。」

彼の言葉は、正に現在の私にも向けられている。

 

 

 

そして最後、語彙力の低下にこれ以上にない危機感を抱いている。

別に私はプロの表現者でも何でもないので、苦しんで語彙力を増やそうとしなくても良いという見方もある。

 

 

だが、それだけではないのである。

 

 

ここで少し、会社での私の業務について少し触れたい。

私の業務の一部は、日本語資料を簡潔にまとめたり、英語資料の英語要約、日本語要約である。

その時に、適当な言葉がほとんど出てこないのだ。

 

 

専門用語が使われていることも一理あるが、やはりそれ以上に、語彙力が無いために簡潔に言葉を言い換えることができない。

その度にネットで検索をかけるのだが、その時間は他の業務に充てられる時間だろう。

語彙力の低下が、会社での業務に支障を与えているのである。

 

 

 

以上が、表現力を磨きたいと思った背景となる。

 

ここからは、このブログについての説明をしたい。

 

 

方針が変わることもあると思うが、今のところは、月1回程のペースで、読書感想文のようなものを書いていこうと考えている。

読書感想文を上げようとすれば必然的に本を読まなければならなくなる、という安易な発想である。

 

 

余裕が出てくれば、その他最近見て良かったアニメや映画についても書いていきたい。

 

 

 

ブログのタイトルは、アニメ東京喰種:re最終話、カナエの台詞から拝借した。

正直、この手の台詞に心を動かされたことはなかったのだが、カナエの最後があまりにも美しく、涙を流さずして見ることはできなかった。

この感想を書くのも良いかもしれない。